無料ブログはココログ

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

2013年1月30日 (水)

室欄・白滝記その32~一人関東遠征③~

さて、何とか東京に無事着いたわけだが、実は何をしていたかあまり覚えていない。

自転車がつらかったことだけが深く印象に残っているのみである。

東京にいる知人に会いに行き、稽古は蕨道場へ行っただけ。以上。

このときも西尾先生は不在であった。

というわけで帰り道のお話です。何の記録だ、これは。

来たときのことは正確には覚えていないのだが、100キロはママチャリをこいだ。

体力とお尻の限界までこいだ。

東京と千葉の境ぐらいまでいけたのかもしれない。

そのため、帰り道を考えるとうんざりであった。

いっそ自転車を捨てて行きたいが、後輩からの借り物なのだからそうもいかない。

そこで私は何の予定も入らなかった日を利用して、少し距離を縮めることにした。

自転車を置いてきた駅まで行き、大洗までひたすらこぐ。

これで土浦まで戻ることができ、帰り道がだいぶ楽になった。

それからまた汽車で東京へ戻り、東京での全日程を終えると土浦からまた夜通しこぐ。

途中どこかの駅で寝た。

タイヤの空気が抜けるアクシデントにも見舞われ、どこかの警察署で助けてもらったりした。

以上、一人関東遠征~足腰の鍛錬編~でした。

室欄・白滝記その31~一人関東遠征②~

自転車で東京へ向かう―そうは決めたものの、当時の私の自転車はとてもそんな冒険に耐えられる代物ではなかった。

ブレーキの効きがかなり悪くなっていて、おまけに後輪は歪んでフラフラしていた。

車に横からはねられたことがあって、そのときのダメージである。

ギアもいかれていて、勝手にギアが変わるオートマ仕様になっていた。

急にギアが軽くなることがあるかと思えば、登りの坂道でいきなり重くなったりして、自動車なら上り坂で低速になってしかるべしだが、人力では逆につらいです。

そこで、後輩から自転車(もちろんママチャリ)を借りて東京を目指した。

ちなみに寮から室蘭港までも結構距離がある。

フェリーの出発はたしか0時過ぎ、到着は夕方であった。

大洗に着くと、東京を目指して徹夜で走るのだが、このとき私は知ることになる。

地図に勾配は記されていないことを。

アップダウンが激しかった。

そしてママチャリは遠乗りに向いていないということをやっと思い知る破目になる。

とにかくお尻が痛い。

結局、自転車による東京上陸をあきらめ、途中から電車で東京へ向かった。

何をやってるんだか・・・。

室欄・白滝記その30~一人関東遠征①~

3年生になる直前に関東遠征で訪れた西尾先生の蕨道場はとても印象的であった。

近いうちにもう一度行って稽古をしたい。

西尾先生にもお会いしたいという思いから、3年生の夏休みを利用して再び関東を目指すことを決意する。

その頃、私はフェリーターミナルでアルバイトを始めていた。

ラッシングという仕事で、要するにフェリーに乗った車両を固定する仕事である。

金にはなったが、健康的ではなかった。

何しろ排気ガスにまみれて、鼻の中はまっくろけのけ

 

まっくろけのけ

2.お嬢さん ブランコ遊びもよいけれど 上へ下へのそのときに 

ちらりと見えますまっくろけのけ ああ まっくろけのけ

4.室蘭の 新日鉄の煙突は 太くて長くてでっかくて 吐き出す煙がまっくろけのけ

ああ まっくろけのけ

 

寮歌はもう関係なかった。

ちなみにこの歌は4番の「太くて長くてでっかくて」を特に強調して歌えとリーダーは教える。どうでもいいですね。

当時は室欄―大洗(茨城)という航路があった。

それをバイト先で知った私は自転車で東京まで行く計画を立てたのだった。

地図で見ると東京から大洗まで直線でおよそ120キロ。行けない距離ではないと甘い考えがよぎった。

まあ、行けない距離じゃないですよね。自転車がちゃんとしていれば。

しかし、マウンテンバイクなんぞ持ってはいない私、ママチャリで臨みました。

すっげえ大変でした。

その苦労はまた次回。

2013年1月28日 (月)

室欄・白滝記その29~リーダー活動③~

寮祭実行委員に起こされて、赤フン当日を迎える。

一応朝食を用意してくれるが食えたもんじゃない。

それから一日かけて、方々の店を回り、歌い、宣伝する。

夕方にはシャンシャン共和国にたどり着く。

そこに他の寮生もべろんべろんになって到着。

赤フン行列を行い、終わると寮で反省会の打ち上げ。またしても飲む。

そして翌日はまた早く起こされる。

今度は長の断髪式だ。

1年間伸ばし続けた髪に一人一人はさみを入れ、最後にサブリー2人が髪とひげをすべてそり落とす。

終わるとスキンヘッドになった長の最後の指揮で「北斗の光」を合唱する。

つまり私は学生時代スキンヘッドだったことがあるのです。

 

ガンバロウ

1.ガンバロウ 突き上げる空に 黒鉄(くろがね)の男のこぶしがある

燃え上がる女のこぶしがある *闘いはここから 戦いは今からガンバロウ

2.ガンバロウ 突き上げる空に 輪をつなぐ仲間のこぶしがある 

押し寄せる仲間のこぶしがある (*)

3.ガンバロウ 突き上げる空に 国のうちそとのこぶしがある

勝ちどきを呼ぶこぶしはひとつ 闘いはここから 闘いは今から 

 

辛かったがやってよかったと思う。こんなバカバカしい真似は、普通はできないからね。

室欄・白滝記その28~リーダー活動②~

リーダーの主な活動は歌の稽古。

何しろ教える側なので、完璧に歌えるようにしなくてはいけない。

各自、自主練、それからリーダー歌練が1年生の歌練に先駆けて始まる。

リーダーはゆっくり歩いて1回の談話室に集合。挨拶は思いっきり低い声で「うーーーす…」

時間があれば集まって色々なことを話し合う。

方針、指導法などなど・・・でも、やっぱりバカっ話が多かったかなぁ。

それから「ふれまわり」と言って、寮祭の宣伝をして歩く。

協賛いただいた店を回りながら一日中大声で宣伝をするのだ。

「寮祭だ、寮祭だ、寮祭だーーーっ!!(オーッ)寮祭に集まれよーーーっ!!(オーッ)」

みたいなことをひたすら叫びながら下駄で歩く。足がめちゃくちゃ疲れる。

お店に着くと店の前で1曲歌う。

ふれまわりは2回行う。この2回目が赤フン当日で、この3日間くらいはリーダーはろくに寝れない。

まず赤フン前夜。大学近辺の飲み屋さんにふれまわりをする。これを「夜ふれ」という。

飲み屋さんではお酒を出してくれる。1件につき3升くらいは出されたか。

それを3役で受けるのだ。

もちろん全部飲みきれるわけが無い。

3役の後ろにはリーダーが全員しゃがんで控えていて、どんどん後ろに回して行くのだ。

工大の周りは飲み屋さんが多い。全員で手分けして飲んでも、べろんべろんになって記憶を飛ばす。

そして睡眠不足、二日酔いの二重苦の中、赤フン当日のふれまわりが始まるのだ。

 

デカンショ節

1.デカンショ デカンショで半年暮らす ヨイヨイ(それ)

あとの半年 寝て暮らす *アヨーイ ヨーイ デカンショ(それ)

1.どうせやるなら でっかいことやれよ ヨイヨイ 

奈良の大仏 屁で飛ばす(*繰り返し)

3.どうせやるなら 小さいことやれよ ヨイヨイ ノミの金玉 八つ裂きに(*)

4.さあ さあ おいでよ明徳祭に ヨイヨイ 粋で多彩な プログラム(*)

室欄・白滝記その27~リーダー活動①~

2,3年生になっても私は赤フン前の歌練に参加して、その間稽古を休んでいた。

 

教える側のリーダーに憧れて、なってしまったのである。

赤フン、歌練、リーダーについてはここら辺の日記を参照のことhttp://shiradiary.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/9-3c4c.html

 

リーダー…あれほどバカバカしくてカッコいいものはない。

 

そして1年生のときよりもずっと大変であった。

 

リーダーは3部隊に分かれている。それぞれ、太鼓隊、踊り隊、型隊という。

 

太鼓は歌に合わせて太鼓を叩く。

 

連打が多く、めちゃくちゃ腕が疲れる。そしてバチを何本も折る。

 

踊り隊は踊りを教える。

 

そして、歌や踊りとは別に「型」というものがあった。

 

元々は空手の型から来ているらしく、リーダーの突きやチョップにあわせて皆が拍手をする。

 

一拍子、二拍子、三拍子、四拍子、三三七拍子、法華の太鼓と6種類ある。

 

拍手と言っても普通の拍手ではない。

 

腕を肩の高さまで上げて「お手上げ」のポーズをする。

 

そして、その左右の腕を顔の前で打ち鳴らすのだ。

 

もはや拍手じゃない。拍腕だ。めちゃくちゃ疲れます。

 

私はこの型隊に配備された。

 

型をやる方も四股のように足を広げて腰を落としたままの状態がずっと続くので、それなりに大変。

 

さらに3年生の時にはリーダー長になった。

 

つまり、私の学生時代には髪とヒゲを1年間伸ばしっぱなしだった時期があるのです。

2013年1月25日 (金)

室欄・白滝記その26~関東遠征②~

三日目の夜は蕨道場。

しかし、西尾先生は体調を崩されており、お会いすることはできなかった。

西尾先生は大先生の戦後の弟子の一人で元々は空手と柔道の出身であられた。

大先生に弟子入りすると大先生の武器術を独自に研究され、空手や居合いも取り入れながら自己流に体系化された。

若い頃から「西尾のやっているのは合気道ではない」とよく言われていたらしく、所属こそ合気会だが技の外見は異なるところが多い。

だが、私はこの「西尾流」にすっかり魅了された。

空手の捌き、剣の理合が見事に生かされているのだ。

また近いうちにこの道場に来ようと決めた。

西尾先生にもぜひともお目にかかりたかった。

稽古のあとは蕨の方たちにお酒をご馳走になった。

翌日には道主の朝稽古に参加するというのに、アネゴにいたってはこの後どうやって帰ったのか覚えていなかった。

当然、翌日の稽古には遅刻するわ、酒臭いわと散々だった。

というわけで、これが私と道主のファーストコンタクトだったのですね。各方面から怒られるな。

そして、この日の夜は関東のOB達にご馳走になった。

このときは始発まで飲んでいたようである。

こうして飲んでばかりの関東遠征は幕を閉じた。

室欄・白滝記その25~関東遠征①~

新幹部の最初のビッグイベント、それは「関東遠征」という東京への出稽古である。

毎年、春休みに行われ、私とアネゴ、タケの3人で出征した。

コーヂは経済的な事情により行けなかった。

出発前夜に壮行会があり、当日は二日酔いのまま出発。

この日は稽古はなく、宿泊先の財務省印刷局記念館へ行き、坂本友次先生にお会いする。

坂本先生は印刷局のOBであり、この記念館に宿泊できるのも先生のおかげであった。

また、先生は大先生の直弟子の西尾昭二先生(同じく印刷局)の弟子でもある。

この遠征でお邪魔する道場も本部道場のほかに、坂本先生の滝野川道場、西尾先生の蕨道場と西尾先生に縁があった。

戸田先生は西尾先生と何かつながりがあったのか。

戸田先生は色んな先生の技を研究されている。

その中でも、「入身の速さは西尾先生が一番だ」と言っていたのを聞いたことがあるので、もしかしたら直に習ったことがあるのかもしれない。

二日目の夜が滝野川道場で稽古であった。

この道場では居合いなどもやっていた。

私は先生にお願いして何本か投げてもらった。一教を教えてくださった。

2013年1月24日 (木)

合気道探究

合気道探究・第45号の道場紹介のコーナーに中湧別道場が載りました!!

さらにこの号はいろんなイベントの記事がてんこ盛りで、われらが尾﨑先生も出ずっぱり。

写真だけでも6枚(うち2枚は確認困難)、確実に道主と若先生の次に出ています。

白滝100周年の記事もカラーで小さく出ました。

保存版だな。

2013年1月 9日 (水)

寒稽古

あけましておめでとうございます。今年もブログ白滝記をよろしくお願いします。

さて、中湧別道場も先日初稽古が行われたわけだが、現在2台あるストーブのうち火力の高いジェットヒーターが故障中である。

もう1台のストーブは稽古の3時間前につけられたが、道場に行ってみると気温はわずかに5度。

これは寒い。でも、まだプラスなだけ救いか。

私は稽古が始まれば多少の寒さはしのげる。でも準備体操が寒くて苦手だ。

合気道に体操なんざいらない。船漕ぎ運動と魂振りだけでいい。体操反対!!

・・・とは稽古中に言えないので、ガタガタ震えながら体操する。

稽古が始まると体中に気が行き渡るので、すぐにあたたかくなった。

かえって汗をかかなくてちょうどいいくらいだ。ただし足の冷えはあきらめるしかない。

5歳の女の子もすぐに寒さに順応した。大人会員はまだまだ寒そうである。

しかし、ジェットヒーターは修理の見通しがいまだたっておらず、この冬は下手をするとワンシーズン強制寒稽古になるかもしれない。

稽古が終わったときの道場内の気温は6度。1度しか上昇せず。

ところで、稽古が終わった途端、両乳首が痛み出した。なぜだろう。

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »