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2013年6月

2013年6月17日 (月)

高齢者大学⑤~本番~

高齢者大学当日…遠軽福祉センターに120名もの高齢者が集まった。

過去最高の出席数との事。私の落語が目当てだとか。

でも、ここまで来るとプレッシャーはもうそんなにない。

稽古通りやって楽しんじゃうしかない。

でも、さすがに少し緊張した。

本番ならではのアドリブなども交えつつマクラから「売り声」、そして「やかん」へ。

きちんと受ける。

「やかん」ではさりげなく文七の名前を出してみた。

すると、前の方で「文七元結だ」と言っている方がいるではないか!

そりゃあ、これだけの人数がいれば、いくら落語になじみがなくても知ってる人はいるだろう…。

緊張度が高まった。

知ってる人の前で、この大ネタの改作をやっていいものか。怒られないか。

他にも「文七」をやっちゃいけない理由はいくらも思いつく。

・「やかん」ですっかり出来上がっちゃったお客さんはきっともっと笑いたい

・それ以前に、皆さんほとんど落語初心者で、大ネタを聞く心構えがない。

・それ以前に、私は旭笑長屋の前座で、実力もまだまだ未熟

・しかも本当は冬の噺で、6月にやるべきではない

・主役の一人・文七が(私のネタでは)色白の設定。演者の私は真っ黒に日焼け。

が、私は急きょネタを変更するほど器用じゃないのだ。

「縁をテーマにしためちゃくちゃな噺です」と前置きして噺に入った。

冒頭が一番シリアスで、なおさらやりにくい。まだうろちょろしてる人もいたし。

それでもなんとかかんとかやりきった。

要所、要所で噛んだりしたが、ギャグの場面では笑いも起きた。

終演後、ある方から

「正直、あんまり期待してませんでした。でも最後は涙が出そうになりました」

と言われた。

遠慮なく、その言葉を額面通り受け取ることにした。この、正直者め!

2013年6月16日 (日)

高齢者大学④~文七~

3席目に私が選んだ噺は、ジュニアリーダー研修会でもやろうと思っていた「文七」というネタだった。

ネタバレしたくないので、多くは語らないが、簡単に言うと古典落語「文七元結」の改作である。

文七元結・・・博打で借金まみれになった父・長兵衛を見かねて娘が吉原に身を売り、長兵衛は50両の金を手に入れる。1年以内に返せば娘は女郎にならずに済むが、長兵衛は見ず知らずの若者・文七の命を救うためにその金をあげてしまう。

文七は店の金をなくしたと思い込んでしまい、川に身投げをしようとしていたのだった。長兵衛の説得にも一向に耳を貸さない文七に長兵衛は金をくれてやるのだが、文七の金が見つかり、長兵衛の行為に感心した文七の主が娘を助けてやり、やがて文七と娘は結ばれる…。

美談だが、嫌いな噺のトップ5に入る。

私が嫌いなのは文七の性格だ。

「死んだところで金は出てこない。とにかく店に帰って正直に謝れ」の説得にもかたくなに「死にます」

かと思えば、金が手に入るとしれっと店へ帰ってしまう。

こんな奴に大事な娘をやるなぁーッ!

というわけで、この噺を作り替えた。文七を別の噺の主人公に置き換えたのだ。

それは実にくだらない発想が元であったが、やってみると私の中で非常にしっくりくるものになった。

そして、文七がだんだん私の分身になっていったのである。

早く私なりの文七をやりたいと思った。

時間もそれなりにかかるし、江戸っ子の噺だからちょうどいいかもしれないと思った。

こうして、高齢者大学で「文七」をやることにしたのだ。

一応フォローだけど、嫌いな噺も含めて私は落語が好きです。

無茶な噺を聞かせるのもテクニックだし、それをやる方は当然いるわけで、「文七元結」は映像なら志ん朝、音声なら談志がいい。現役の噺家さんはわからない。

あと、どうでもいいけど、他の嫌いな噺は「井戸の茶碗」、「芝浜」、「初天神」とか、そんなところ。

2013年6月15日 (土)

高齢者大学③~ネタ決定~

高齢者大学の中身が決まった。

それは「落語を通じて知る昔の生活文化」についての講演と落語2席。時間は1時間半。

無茶ぶりだよ、本当に!

人生の大先輩方を前に講演、しかもテーマが「昔の生活」って、皆さんの方が昔の人間じゃないか。

しかし、あくまで私の受け持ちの時間は講義の時間ということらしかった。

まあ、面白いと思ったけどね。せっかくなので、長い持ち時間を利用して普段できないことをやろうと思った。

偉そうに講演をやろうという気はさらさらないので、最初から落語の形で、言いたいことはマクラとする。

落語を聞いて思うことや、最近気になっていることをお話

・江戸時代の人のつながり、あけっぴろげな世の中

・現代は物が多すぎる。物が多いと人は豊かになれるのか。

・外国人から絶賛された江戸と当時の日本

・見直したい街並みの景観と街の音→落語「売り声」

そこから、高齢者の出てくる落語「やかん」につなげた。

わかりやすくて笑える高齢者向けのネタだ。

そして最後の1席が私が今最もやりたい噺だった。

高齢者大学②~ネタに迷う~

高齢者大学、結構早くから声をかけていただいたので、最初は中身がわからなかった。

まあ、落語2席、計40分くらいだろうと勝手に決めつけて、何をやろうか考える。

この何をやろうか考えてるときが実は一番楽しい。

ネタが決まるとバカみたいにひたすらそれを繰り返し稽古する。

で、当日が近づくともう飽きちゃう。

本番直前になるほど稽古しなくなる。毎回そうだ。

さて、なにがいいか。自信のあるネタ、笑えるネタ、わかりやすいネタ、落語らしいネタ・・・

いろんな噺が頭をよぎり、思いつくたびに稽古した。

おまけにわざわざ自分でも噺を考えてしまった。

振り込め詐欺を題材にした噺で、これはハンガリーから帰国して体調すぐれない時に思い付いたので大変だった。

体を休めたくても、いろんなアイデアがわいてくるので、全然休めないのだ。

5席くらい候補を挙げたが、Nさんの依頼によりすべてボツになった。

Nさんの依頼はまたしても前回と同じく講演と落語のセットだったのだ。

2013年6月13日 (木)

遠軽高齢者大学①~最初の依頼~

6月11日、遠軽高齢者大学(遠軽、生田原、丸瀬布)の集まりで、120名を前に落語をやらせていただいた。

地元・遠軽町では今までで最大の人数である。

依頼してくださったのは遠軽教育委員会のNさん。

実はNさんからの依頼はこれが2回目であった。

最初の依頼は「ジュニアリーダー育成研修会」みたいな感じで、中学生、高校生の前で「絆」をテーマに講演と落語をやってくれということだった。

講演が30分、落語が30分×2席の計一時間半という長丁場・・・。

しかも、この頃のNさんはまだほとんど私の話を聞いたことがなかった。ギャンブラーか、この人。

面白そうなので引き受けた。

でも、講演なんてやったことないしなー・・・と、思うままに一人しゃべってみたら、しゃべりたいこともたくさん出てきてなんとかなりそうだった。

落語はテーマを重視して、あまり受けたことのない噺だが大好きな「孝行糖」、そしてもう1席。

こんな長丁場は初めてなので、とにかく稽古した。

が、この企画は中止になってしまった。

中高生が集まらなかったのである・・・。

しかし、Nさんはあきらめなかった。

「今度は高齢者大学でお願いします」

「でも人数集まりますか?」

「100人は来ると思います。」

えーーーっ?‼

確実に高齢化社会である。

しかし、つくづく思ったのは落語だけならまだしも、私に講演をやらせようとしたNさんの勇気だ。

今だから言うが、私の教育論の軸となっているのは「大人の言うことは信用するな」なのだ。

つづく。

2013年6月10日 (月)

千歳へ⑤~講習会2日目~

さて、稽古2日目。

たとえ同窓会に行かなかったとしても、結局懇親会で飲むのだから、そう考えると毎度ハードなスケジュールである。

さほど酒は残っていなかったが、午前中は形を大切にゆっくりと稽古。

午後からいきのいい北大生たちと主に稽古をしてばてる。

師匠・戸田先生とは四方投げを稽古。

久々に戦慄の走る四方投げを食らい、受け身間に合わず。

左のひじが痛い。でも、左の転換を矯正するのにいいかもしれない。

余計な力を入れると痛むだろうから。

講習会の後は室蘭道場の隠れた実力者・Sさんと合気ダンスをやってみる。

ますますくたびれた。

そして、帰り道。祭りの後の寂しさとでもいおうか、久々に中学時代の仲間と会ったせいか、なんだか妙にセンチな気分になってしまい、一人の運転が若干切なかった。

おしまい

千歳へ④~同窓会の帰り~

ああ、そういえば!

久しぶりに皆に会えた嬉しさではしゃぎまくっただけで、連絡先交換した人とかいねぇ!

結婚した女子は新しい姓すらわからねぇ!

唯一、中学時代あんまりしゃべらなかった女子となぜかフェイスブックで友達になっただけです。

というわけで、もしこのブログを読んだ人がいたら、どうぞ連絡ください。フェイスブックでもいいです。

2次会まで出て、12時を回ったところで翌日(っていうか当日)の稽古にそなえ、帰ることにした。

大人の判断である。成長したね。

今回のホテルであるわが愛車は武道館に停めたまま(大人はちゃんとホテルに泊まるんだよ)。

街から歩いたら予想以上に遠くて、何度か心が折れそうになった。(大人はタクシーを使います)

一方、私の後輩の学生たちは北大OBの十勝合気会代表Iさんが面倒を見てくれていた。

なんでだよ!

ちょっとかわいがりすぎたようです。トランプで遊んでいただけのようですが、気が付いたらみんなかなり酔っぱらってたみたいです。

大人のトランプって不思議だ。

千歳へ④~同窓会その3~

私は同窓会に缶詰を背負って臨んだ。

なんのことやらわかりませんね。まあ、説明すると…

私は千歳に帰っても実家に泊まらない。ホテルを取ったり、友人を訪ねたりする。

実家には泊まりたくても泊まれないのだ。誰もいないうえにセコムしちゃってるから、入るのめんどくさいのだ。

何しろ、親はハンガリー、弟は札幌だが妹はアメリカで私は白滝と一家離散状態だ。

妻同伴ならホテルだが、一人なので友人の実家に泊まらせてもらうことにした。

宿泊費としてお土産に白滝の缶詰セットを買っていった。白楊舎http://www.shm-hakuyosha.co.jp/_shop/index.cgi?ikflg=1&orderarray=

ところが、友人の親が体調を崩してしまい、泊まれなくなってしまった。

というわけで、私は車中泊が決定し、缶詰はみんなに配ることにした。

同窓会なのに荷物が無駄に重い。

しかも遠軽のハチミツまでリュックに入っていたので、なお重い。

これは妻に渡されたもので、結婚祝いをくれた担任へのお返し。

他に持って行ったものは名刺。

と言っても私の名刺は職場の名刺ではなく趣味の名刺。

表が落語の高座名で、裏が合気道バージョン。

もらった人は皆ポカーンである。

さらに私は「年表」を持っていった。

これは2組の歴史が記録された大変貴重な資料だ。

私がコピーを取っていたので残っているが、原本は消失してしまっている。

担任は我々の顔と名前をちゃんと憶えて下さっているのだが、その理由が

「初めて担任を受け持ったクラスだったし、何かとドラマチックだった」から。

それでは年表を少し覗いてみよう。

・カレーの乱

・教室門外の変

・ローリングS事件

・クボゥタァ宣言

・第二次米粒事件

・赤ヘルの乱

・試KEN管の変

・孤独の世界withルービックキュービックム~ン

と言った事件が起こっているのだ。ドラマチックだろう?

完全にいかれてる。

千歳へ③~同窓会その2~

我々が住んでいた向陽台という地区は、千歳市内ではあるものの隔離されたようなところで、同窓生たちは小学校から中学校までずっと同じメンバーである。

広い意味で全員幼馴染だ。

ただし、私は転校を繰り返していたので小1、4、5、中2~3と飛び飛びにしか向陽台にいない。

特に中学に上がるときにいなかったので、クラスが違って付き合いの薄かった人なんかになるともうわからない。

次々と現れる同窓生たちを見るたびにドキドキしていた。

「あー、この人見たことある!でも名前がわかんねえ!1組のやつだ。いや、4組か」みたいな感じで。

案の定、よそのクラスはわからない人が多い。特に女子。

帰ってきてからアルバムを見直したが、それでも忘れたやつが多くてびっくりした。

しかし、向こうは私のことを覚えていたりする。転校生の強みか。しかもアメリカ帰りだったし。

あと、私は見た目もほとんど変わらないと言われた。

一番驚いたのは外見は当時のままの他のクラスの先生。

驚いたのは外見ではなく、職業が社長に替わってた。

転職しちゃったのかよ!しかも起業しちゃった!

しかも、その先生まで私のことを覚えていた。

一番接点のない先生だったのに。

理科も教えてたらしいが、技術の先生だったことしか覚えておらず、この先生の顔を見ると全然うまくできなかった「はんだづけ」のことしか思い出せない。

男子は平均に太った。あと、男女通じて喫煙率がやたら高かった。

担任の先生はあんまり変わらなかった。

色んな人に話しかけてみたが…想像してた以上に楽しいぞ、同窓会‼

もし、早く終わったら室工大の学生とでも飲もうと思っていたが、そんなことにはなりませんでした。

2013年6月 9日 (日)

千歳へ②~同窓会その1~

同窓会の会場へは友人と向かった。

実はこの時点では私の勘違いでクラス会だと思っていた。

私から話を聞いた友人もそう思っていた。

私達のクラス「2組」は他のクラスから見てもかなり変わっていたと思う。

個性的なメンツがそろった上に担任が若い女性(当時)で、この先生が我々を見守っていてくれたからこそ、我々も羽目を外せたのだ。

というわけで、私も友人も一番の目的は先生に会うことだった。

私は約10年ぶり。友人は中学卒業以来か。

そして、我々はほぼ中学時代のノリでバカっ話をしながら会場へ向かった。

私「でも、皆どんな感じになってんだろうなー。もし、こういうノリで話せるのが俺たちだけだったらどうする?」

友「泣いちゃう」

「俺は何とかこらえる。家を出るときにそう言って来たから」

「どういうことだよ!」

「今日はもう泣かないって言って出てきた。」

「じゃあ、今日すでに何回か泣いちゃったのかよ!」

しかし、本当のところ、この友人は緊張のあまり胃が痛んでいた。

そして、会場近くで合流した別の友人によって、驚愕の事実が発覚する。

クラス会ではなく同窓会・・・参加者は約50名。

そこまでの心の準備は私もできてない!

他のクラスのやつまではわからない!

怖くて泣いちゃうかもしれない。

千歳へ①~講習会1日目~

千歳へ行ってきた。合気道講習会と中学の同窓会があったからである。

先ずは講習会初日。午前中は仕事をして、午後から千歳へ車を飛ばす。ぎりぎり間に合う。

師範は本部の森智洋先生。お会いするのは初めて。

半身の姿勢と腕の使い方を中心に指導された。

この日のハイライトは片手転換呼吸投げを千歳の象谷先生に教わったこと。

私は毎回、転換を象谷先生に習いに行く。そしてダメ出しを食らう。

中湧別道場で試行錯誤する→ダメ出しの繰り返し。転換は難しい。

呼吸投げでは本当に何の抵抗もなく腕をあげられてびっくりした。

みな、それを目指して稽古してはいるのだが、実際にやられたのは初めてかもしれない。

やはり象谷先生はすごい。

いや、他の先生方もすごいですよ。

北海道の先生は個性のある実力者ばかりで、それがとっても面白いし好きなのです。

一方、自分は左の転換が致命的にだめだと発覚した。さー、どうする。

稽古の後はすぐに同窓会なので、急いで武道館でシャワーを浴びる。

体重計があったので計ったら、前回よりも4キロ落ちていた。

ダイエットを始めてから2か月で7キロ。体重計に狂いがなければ一応達成である。

そして、替えのパンツを館内に持ってくるのを忘れた。

稽古の時にはいていたパンツは汗でぐしょぐしょではけない。

というわけで、実は同窓会の最中はノーパンでした。

股引ははいてたけどね。だからどうした。

つづく

2013年6月 5日 (水)

室欄・白滝記その41~寮の追いコン~

4年目の春に私は退学した。

寮にも追いコン(追い出しコンパ)はあった。


もちろん、それは卒業生に対してのもので、退学者には適応されない。


前に合気道部の追いコン(追い出しコンバット)については書いたが、やっぱり寮の場合は中身が全然違う。


まず全寮生が食堂に集まる。


そして、卒業生が次々と壇上にあがり、最後の「自己紹介」をするのだ。


その卒業生にお世話になった人たちが酒を注ぎに来る。


長年、寮にいた人や何かの役職についたことがあると、大勢の寮生に囲まれる。


当然、コップじゃ足りなくなり、大きなボウルで酒を受ける。


ボウルの中は色んなものが混じってわやである。酒じゃないものや液体じゃないものまで混じる。


卒業生に酒をぶっ掛ける人もいて、卒業生自身もわやになる。


それを飲み干し、飲みきれなければかぶったりして、最後の自己紹介をするのだ。


そうやって酒まみれになる卒業生を見る度うらやましかった。


私もいつかああやって送られていくんだと思っていた。


しかし、それは叶わぬ夢となった。


リーダー長まで務めたものが、卒業しないなんてことは許されない。前代未聞だと先輩リーダーにはさんざん言われてきた。


しかし、もうどうにもならない。


私にとっても最後の追いコンが終わると、私は号泣した。


大学は嫌いだったが、寮は大好きだった。


4年住み続けた寮舎とそこに住む仲間たちに別れを告げて、私は退寮した。

室欄・白滝記その40~審査と大学~

合気道部では年2回審査が行われる。

1年生で5級、4級。2年生で3級、2級。3年生で1級、初段。


一般的に初段を取ると袴をはける(女子は
3級から)のだが、合気道部では幹部になってからはく

初段を取る頃には幹部を引退してしまうからだ。


その後は稽古量と実力次第で二段の審査を受けられる。


ちなみに、戸田先生の審査方法は本部道場の定めた規定に従うことなく、戸田先生のひらめきによって行われる。


つまりどんな技をやれと言われるか予想がつかない。


まさに普段の稽古量がものをいう。


と思いきや、普段稽古してない技までひらめいちゃうので、審査当日になって初めての技をやる羽目になったりする。


当然、稽古してないのでできません。


その、「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤している段階をも先生は見ているのだ。多分。


私の代で二段の審査を受け、昇段したのは私とアネゴだけだった。


特に私の出席率は一番であった。


それもそのはず、だって学校に行っていなかったのだから。


私は親に言われるまま、成り行きまかせで入学しただけで、工業なんぞこれっぽっちも興味がなかった。


でも、何とかなるだろうと思っていたが、なるわけがない。


そもそも入試だって英語と倫理の成績が良くて入れたようなもので、理系教科は平均で半分取れたかどうかであった。


おまけに寮では飲んだくれてるか、遊んでるかのどちらか。


二日酔いで試験をすっぽかしたこともあった。


どうにもならないので一時期休学し、これも修行のうちだと復学したが、
2ヶ月で挫折した。


教科書を見ると頭痛がする。何一つ理解できない。


私は退学を決意した。

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