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2014年2月

2014年2月 2日 (日)

室欄・白滝記その44~さよなら室蘭~

白滝へ住みたいと思ったちょうどその頃、白滝で本部の藤田師範の講習会があったので参加した。

その際に会長に白滝に移りたい旨を伝えた。

 

その後も戸田先生が会長とやり取りをしてくれて、白滝に移る準備が整った。

白滝合気会の事務局長にも大変お世話になった。

「白滝に来ても何にもないよ」と言いながら、役場の臨時職員の仕事を見つけてくれ、書類を送ってくださった。

が、履歴書を書くのが面倒だった私は、返信するのがすっかり遅れてしまい、この話はなくなった

ひどい話だ。

しかし、仕事に関してはその後、結果オーライとなる。

4月、結局仕事が見つからないまま白滝へ車で引越した。

というわけで、次回から白滝編「白滝記」に突入するのだが、その前に戸田先生にプレゼントした話。

まずは漫画。

少しだけ漫画家に憧れたこともあった私は、室蘭を去る前に1年がかりで合気道の漫画を1本仕上げた。

 

インクとペンで描いた最初で最後の作品である。

 

これを卒業論文として戸田先生にお見せした。

この作品を見たい方は白滝に遊びに来れば見せて差し上げます。

でもかなり恥ずかしいかな。

それから、目覚まし時計。

これは卒業する4年生の後輩と一緒に選んだ品。毎年、卒業生は戸田先生に贈り物をするのが習わしであった。

私が4年生の時は何を贈ったか忘れてしまったが、この時は後輩たちと相談して、単なる品物ではなく、特別なものを贈ろうということになった。

そして声を贈ろう!ということになった。

我々は目覚まし時計に声を吹き込んだ。アリスの「チャンピオン」の替え歌で「戸田さんのテーマ」という歌を作り、熱唱した。

「戸田さんのテーマ」

掴みかけた 熱い腕を さばかれて 僕らは飛んだ

わずかに震える 白い道着に戸田さんの 凄みを見た

やがて畳と 拍手の渦が 一人の男を 飲み込んでいった You are king of aiki

このプレゼントを喜んだ戸田先生は早速枕元に時計を置き、

目覚ましが鳴る前に起床すると、時計をそっと娘の枕元にセットしたという。

 

室欄~完~

 

室欄・白滝記その43~戸田先生の提案~

フリーター生活をしながら、合気道の稽古を続けていた私だったが、その後の展望は見えないままであった。

あるとき、大澤先生の講習会に向かう車中で戸田先生は聞いてきた。

「久保田はこれからどうするんだ?

「さあ、自分でも色々考えているところです。祖父母のいる仙台か富良野にでも行くか、実家のある千歳か、それとも思い切って東京にでも行ってみるか・・・どこでもいいんですが、合気道は続けたいです。」

「そうか…。だったら、白滝はどうだ?あそこにも誰か一人くらいいてもいいな。白滝に行かないか?

それは全く思いがけない発言だった。白滝?!

しかし、すぐに私の脳裏に白滝での楽しい思い出が甦る。

今までの合気道経験の中でもっとも楽しい時間を過ごせた白滝

かつて開祖が鍬を振るったその土地、その環境にもまれながら稽古をするのはとてもいい考えだった。

いや、むしろ開祖の合気道を実践する地は白滝しかない!!

私の心は白滝へ飛んだ。

室欄・白滝記その42~Aさんと青雲荘~

退学はしたが、まだ戸田先生の下で稽古をしたかったので、1年間室蘭に残ることにした。

その際にどこに住むべきか。

まず私が相談したのはAさんというOBだった。

Aさんは合気道部のOBではない。私よりも10歳以上年上の卒業生だ。

私は合気道部のほかに「リングス M.I.T」という総合格闘技サークルに所属していた。

1年生の頃、私はリングスの院生の先輩と同室で、「合気道部に入りたい」と言うと

「だったらうちに来いよ。合気道なんてどうせ関節決めて投げ飛ばすんだろ。だったら一緒じゃねえか」

と先輩は言った。実際は全然違うのだが、何も知らないのでそうかなと思う。

「それにうちに来たら、俺が受け持ってる授業の単位やるよ」

これが入部の動機である。

で、このAさんは工大の近くに住む格闘技マニアで、リングスで練習したいといってやってきたのだった。

強烈なキャラクターでした。

親の遺産と新聞配達で生計を立てていて、狭い部屋の中、大量のアダルトビデオに埋もれて暮らしていた。

力がすごく強くて、寝技を一緒にやると手こずった。

それよりも寝技のときは臭いがすごかった。

体臭についてどうこういうべきではないと付き合っていたが、それが長年風呂に入らなかったために染み付いた臭いだと知って愕然とした。

リングスの練習に来て、体育館のシャワーを使用するまで何年も体を洗っていなかったのである。

某大物漫画家のアシスタントをしていたこともある異色の経歴の持ち主であった。

 

そのAさんの住んでいたのが青雲荘という下宿である。

ここの家賃が安かったので移ることにした。

もっとも家賃の安さじゃ寮にはかなわない。寮は部屋代、水道、光熱費込みで1万円だった。

青雲荘の私の借りた部屋は17千円。ここも水道、光熱費込みだった。

しかし、私の部屋は日当たりが悪かった。

部屋は常にじめじめしており、寒かった。

敷きっぱなしだった布団は床の結露で湿ってくる。

最終的にこの布団は腐りました。

台所は共同で、マレーシアからの留学生(私と同じ学科で、この人も途中から学校に行かなくなった)が料理するので、常になんともいえないスパイスの臭いが充満していた。

そういう私も鍋で米を炊いていて、噴きこぼれを掃除しなかったりしたから、迷惑な住人だったろう。

良かったのは大家さんが優しいおばあちゃんで、遊びに行くといつも自家製ヨーグルトをご馳走してくれた。

バイトはフェリーターミナルの仕事とガスの検針。

この青雲荘、今はもうない。大家さんも亡くなってしまったかもしれない。

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