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2014年4月

2014年4月26日 (土)

ハンガリー人がやってきた!④~稽古~

中湧別道場の稽古は18時半からだが、子供たちが多いので、アーコシュさんにお願いして先に稽古をつけていただいた。

アーコシュさんとの稽古はこれが2回目となる。

1回目はハンガリーで。中心を大切にしたとてもいい稽古だった。

今回もまたアーコシュさんのレベルの高さを思い知らされた。

アーコシュさんは現在4段。だが、それはハンガリーだからであって、国内ならば5段以上の実力であろう。

こういう方と稽古をすると、日本人はもっとしっかり稽古しなくてはと思う。

それから、子供たちも交えての稽古。

基本技をやってどんどんハンガリーの方たちと稽古させた。

とてもいい稽古だった。

7歳の女の子は「つかれたー!!でも、楽しいぃぃぃ~!!」とはしゃぎ、

中学生の女の子も「うまいですね!」と驚き(おい、おい)、「受け身がとりやすい。楽しい」

と言ってくれた。

合気道はうまくなればなるほど楽しいからね。もっと、もっと上達してください。

ハンガリーの方々からも子供たちのことをほめていただいた。

ほとんど言葉が通じない我々にとって、合気道が共通の言語だった。

ケセネム(ハンガリー語でありがとう)!アーコシュ先生!

おしまい

ハンガリー人がやってきた!③~白滝観光~

上川から白滝への道中、暗いけどせっかくなので峠を走った。

開祖が峠を越えて入植した苦労を少しでも理解してもらうためだ。

途中、車を止めて星を見た。ものすごくきれいだった。

パッと見、北斗七星がどこにあるかわからないくらいの星の量だ。

一夜明けて、今度は白滝の合気道ゆかりの地巡り。

これはいつもと同じだけど、一応記しておく。

わあわあ、わあわあ言いながら、上白滝神社からゆかりの地、惣角の碑を見て二股市街地をまっつぐに、前方に写真の山を見て左へ、役場で鉄扇と埋蔵文化センター

アーコシュさん、黒曜石が気に入ったようで、以後、黒曜石を探しながら下を向いて歩くことに。

白滝柔剣道場で降りると、旧保育所に鯉のぼり。遊具で遊ぶ児童たち。

子供たちと鯉のぼりと一緒に写真撮影。

遠軽へ、郷土館から久田旅館跡、昼食をとりながら箸の練習。

上湧別へ移動して湧別町総合支所からふるさと屯田兵館。

しかし、久しぶりに外国人を案内したが自分の英語力のなさには愕然とするばかりだ。

全然言葉が出てこない。

毎朝「花子とアン」を見てるのに、なぜだ?!

それはさておき、早めに宿について約1時間の休憩。

アーコシュさんたちは2日連続で本部の朝稽古に出席したので、ちょっとお疲れ。

私も睡眠不足でお疲れ。妻の実家で寝る。

起きて、早めに道場へ行き、まずはアーコシュさんに稽古をつけてもらった。

ハンガリー人がやってきた!②~ニシエヒガシエ~

遠軽までは到底間に合わないので、まず遠軽駅へ連絡。

「外国人が3人降りるかもしれませんが、それは私の知り合いです。私が行くまで引き留めておいてください!」

「はぁ?!その人たち日本語しゃべれるのかい?」

「いえ、片言の英語くらいです。」

「なんて言えばいいのよ?!」

ま、そうなるわな。

とにかく、それらしき人たちが降りたら私に連絡をよこすようにお願いして、速攻でうちを出た。

丸瀬布まで走った時に携帯が鳴った。

「外国人なんか乗ってなかったよ」

じゃあ、一体どの汽車に乗ったんだ?マジで一日間違えたのか?

と思ったら再び携帯が鳴る。外国の携帯からと思われる番号が表示され、出てみると

「クボタサン?ハンガリーダヨ!」

おお、前もって携帯の番号教えておいてよかった。

しかし、なまってんなぁ。ハンガリー訛りか?

そこを行くと私なんざ、アメリカに住んでたこともあるくらいだから、完璧な発音・・・のはずが、

「おめぇだづ、今どごにいるのー?」

はい、私もなまってました。

「7時の汽車に乗たヨ。旭川まで行くヨ。それから上川まで行くヨ」

「どっづよー?あさひがわが、それともがみがわぁ?」

また遠軽に連絡。

「今、連絡ありました。7時の旭川行きに乗ったみたいです。それから上川まで来るそうです。何時に上川につくかわかりますか?」

「えーと、旭川は8時20分だね。それから、上川が8時46分・・・」

もう、いったんうちに戻って休んでる暇もない。まっすぐ上川に行ったほうが早い。

Uターンして今度は上川へ向かった。

ただね、さすがにちらっと思いましたよ。旭川から上川までの時間速くね?って。

しかし疲れていた私はあまり余計なことを考えずに走ったのであった。

上川駅に着いた。到着時間を調べると9時58分とある。

8時46分は旭川を出発する時間だったのだ。

到着時間言ってくれよ、駅員さんよ!

結局1時間以上上川で待ちぼうけくらいました。

疲れてたので、車内で寝袋にくるまって寝てました。

それから、ようやくアーコシュさんたちを拾い、白滝に着いたのは11時ころだった。

ハンガリー人がやってきた!①~発端~

昨年、ハンガリーへ新婚旅行に行った際に、向こうの道場にもお邪魔した。

そこで知り合ったアーコシュさんという指導者から、白滝に来たいという連絡があった。

嬉しい申し出である。

「なんでも力になりますよ!」と返信して、やり取りが始まったのだが、実はアーコシュ氏、英語があまり得意ではなく、時に翻訳ソフトを駆使して良くわからない文面を送り付けてくるのであった。

しかし、その後アーコシュさんよりも英語ができるという同行者の登場により、我々のやり取りはかなりましになったのであった。

どうやら、国内での移動はすべてJRのようだ。そして、彼らは24日の最終の特急で白滝へ来るらしい。

最終の特急は白滝着が夜の8時半。

その日、私は仕事を終え、色々と準備をして、6時頃にくたびれて帰宅した。

さて、風呂に入る前にメールをチェックするかと思ってパソコンを開くと・・・

「6時43分にそちらへ着きます。see you tommorrow」

待て、待て、待て、待て!6時43分?!そんな時間に白滝着く列車はないぞ?!

see you tommorrowてなんだ?ひょっとして、一日間違えてたのか、自分?!

混乱する私。日付に関しては昨夜の深夜に送られてきたもので、朝のメールチェックを失念していたことに後で気づくのだが、かなり焦った。

問題は彼らの乗ってくる汽車だ。調べてみると、遠軽着6時43分の汽車がある。

おそらく、これに乗ったのだ。時計を見ると、ただいま6時20分。

はい、迎えに行っても間に合いません(白滝から遠軽までは40分かかる)。

こうして、序盤から振り回される私であった。

つづく。

2014年4月13日 (日)

室欄・白滝記50~仙台へ②~

仙台への二回目の出稽古は白滝一年目の冬だった。

農家勤めの私は冬の間仕事がない。

20日ばかり白滝グランドホテルで働いた(現在は閉館)。

冬になると、白滝グランドホテルにはスキーの合宿で学生が大量に訪れる。

私の仕事は主に部屋の掃除であったが、学生たちは長期滞在していたようで、ホテルの中も汚いのなんの。

大学の寮を彷彿とさせたほどであった。

しかし、彼らが去ると私の仕事もなくなった。

そこで、また仙台へ祖父母の世話を見に行くことになり、稽古もした。

この時は藤平先生の本を読んでいたり、結構影響されていたので、心身統一の稽古がとても楽しみだった。

前回よりもいろいろな技をやったが、どれもやはり軽やかだった。

参考になったこと、面白かったことについては

・姿勢のテスト…私も初心者に教えるときは必須科目。

・受け身の稽古…確か入り身投げや一教の受け身についてだった。受け身を教えてくれるところはあまりない。

・気圧療法…患部に手をかざして気を送って治すというもの。当時の私には理解できなかった。

・寒中水行を行った人がいたが、心身統一により水の冷たさを感じなかったという話

他にも岩間スタイルの稽古も大変ためになった。

後に私は岩間へ行くが、その時の予備知識としてとても役に立った。

室欄・白滝記49~仙台へ①~

これはまだ私がぎりぎり学生の頃

 

仙台の祖母が入院した。

 

家に残された祖父の面倒を見る人が必要だというので、1週間ほど仙台へ行くことにした。

 

もちろん荷物に道着を入れて。

 

祖父宅の最寄りの体育館では週に3回合気道の稽古をやっていた。

 

そのうちの2つが、グループは別なのだが合気会だった。

 

俗に言う「岩間スタイル」だった。

 

岩間は開祖の最後の修行地。

 

岩間スタイルでは剣や杖の型稽古や、受け手が思い切り力を入れて稽古をする。

 

動きは固く見えるが、そうして基本を徹底的に稽古するスタイルなのだ。

 

初めての岩間スタイルには戸惑いも覚えたが、何より技術がしっかりしているので、大変感銘を受けた。

 

そして残る一つは「心身統一合気道」と言った。

 

どんな合気道か岩間スタイルの方に伺うと

 

「うちとは対角線上にある団体だ」と言われた。

 

このときはまだ何も知らずに稽古に参加させていただいたのだが、他流である。

 

開祖の高弟である藤平光一先生の立ち上げた流派で、気の流れや「統一体」という姿勢の稽古を主に行う。

 

足捌きもスキップのように軽やかで、それがとても印象的だった。

室欄・白滝記48~マブの里演武~

白滝には「山遊の里祭り」というお祭りがある。マブの里と読む。

もちろん当て字だ。マブとはMountain Amusement Villageの略なんだそうだ。

せっかく合気道ゆかりの地なんだから、ぜひともお祭で演武をやってくれとのこと

だったが、これが大変だった。

何しろ当時のメンバーはほとんど演武なんてものをしたことがない。

そこで吉野先生は9日間連続で稽古することを提案した。

実際は間に休みを1日入れて8日間の稽古。

そして子供達の演武を目玉にすると言い、杖の演武を行うことに決めた。しかも「13の杖」。

普段、杖なんてやったことないです。

何しろ子供達は満足に技も出来ないのが多かった。

もちろん私も杖はあまりやっていない。13の杖なんてやったこともない。

さらに問題は吉野先生もあまりやったことが無いことだった。

吉野先生のうろ覚えの稽古が始まった。

それを覚え、さらに子供達に指導するのはとても大変であった。

子供達も文句たらたらである。しかし、吉野先生は

「嫌ならやめなさい!この演武はたとえ私一人になってもやって見せます!!

と、我々に活を入れた。

結局、吉野先生の気迫に圧倒されてみんなで演武をやりきった。

演武の内容云々より、このときの吉野先生の気の出し方、導く姿勢に私は大いに感化された。

しかし、吉野先生は私の前から姿を消してしまうのである。

その前に仙台への出稽古について記しておく。

室欄・白滝記47~白滝合気会の行事~

白滝合気会にはあまり行事が無い。

年の初めと開祖の命日に上白滝神社を参拝するくらいだ。あとは総会。

しかし、白滝にいると様々な道場が合宿に来る。

もちろん私はそれらに参加させていただいた。

たくさん刺激を受けた。

思い出深いのは毎年来ていた札幌国際合気道協会。

しょっちゅう遊びに来ていた合気会余市支部(現・北の武産道場)。

蕨道場も来たことがあった。西尾先生はさすがにいらっしゃらなかった。

岩間の先生方がいらしたときはとても貴重な時間を過ごした。

埼玉大学の合宿では千本稽古に参加してボロボロになった。

大東流の稽古に参加したこともある。白滝で剣道を始めるきっかけとなった。

合宿ではないが、アメリカの五月女貢先生をご案内したこともあった。

他にも色々な方が来た。

急にお客さんが来たこともあった。

あるとき、会長宅で飲んでいると、会長に電話が来た。

たしか札幌で稽古したことがあるという方で、道場で稽古したいとの申し入れであった。

「今飲んでるから駄目です」と断ろうとした会長に 「俺が行きますよ」と言って、

お客さんと二人でほろ酔い状態で稽古した。

車で各地を旅しているという方が急に来たこともあった。

この人は見学だったか、一緒に稽古したんだったか忘れてしまったが、もう秋だというのに車中泊するというので、家に泊めてあげた。

ヨガだか気功だかをやっているおじさんで、夜中に目を覚ますと私の枕元に正座していてびっくりした。

「何してるんですか?」

「気を送ってるんです」

そう言いながら、おじさんは私の頭に手をかざすのであった。

とまあ、色々な方が来たが、白滝に縁のある方は、そのまま道場に泊まることもあった。

そんなときは吉野先生も道場に泊まって、自ら料理したりした。

楽しい日々だったなぁ。

そんな吉野先生に刺激を受けた出来事がある。

白滝の夏祭りにて演武を行うことになったのだ。

室欄・白滝記46~白滝合気会~

白滝に着いた翌日からさっそく稽古に参加した。

白滝合気会の指導者は遠軽の吉野先生。ほかに有段者が会長と副会長。

私も指導員として迎えられ、吉野先生不在時には指導した。

しかし、今までの学生合気道とはわけが違う。

会員は子供がメインで、大人はその子供の母親達。

道着姿ではあったが、ほとんど付き添い感覚で2年前に合宿で訪れたときとあまり変わりがなかった。

子供や社会人の初心者ばかりを相手に指導するのは苦労の連続だった。

おまけに自分自身の技も見直す必要があった。

学生時代も力を抜いてやっているつもりが、やはり力任せの技だったのだ。

吉野先生の教えや古武術を研究していた副会長の意見を取り入れながら、今までの技を全部壊すことにした。

しかし、なんといっても稽古量が足りなすぎる。

学生時は週に4,5日だったが、白滝は当時週1で子供メインの稽古。

私の提案で週2回の稽古にした。

そのうちの一日は大人の部にして、お母さん方の稽古への取り組み方も変わった。

室欄・白滝記45~白滝へ~

白滝に移ることが決まり、住居も会長が手配してくださったのだが、肝心の仕事が無い。

 

一度、白滝合気会の事務局さんが役場の臨時職員の話を封書でよこしてくれたことがあった。

 

が、履歴書を書くのが面倒だった私は、返信するのがすっかり遅れてしまい、この話はなくなった。

 

4月、結局仕事が見つからないまま白滝へ車で引越した。

 

荷物は全部車におさまるほど少なかった。

 

旭川まで雪はすっかりとけていたのに、白滝はまだ雪に覆われていた。

 

すごいところに来たもんだと改めて思った。

 

白滝につくと真っ先に会長にご挨拶に行き、住宅へ案内してもらう。

 

新居は青雲荘から見れば、何もかも好条件であった。

 

公営住宅で日当たりもいいし、部屋数もあるし庭までついている。

 

家賃は当初6100円だったが、老朽化にともない5700円にまで下がった。

 

お湯が出ないのが難点であったが、住めば都の私は結婚するまで住み続けた。

 

会長はたまたま市外に出てきていた友人を捕まえてきて、僕に紹介した。

 

白滝合宿で農作業体験をさせてくれた丹羽農場の社長であった。

 

「丹羽さん、実は合気道やりたいっていって言って、こういう人が来たんだけど、仕事が無いんだよ。何とかならないかな?

 

「会長の頼みじゃ断れねえな。うちで使ってやるよ。前にもうちに来たことあるのか?ああ、あの袴でいも拾いした奴か!!どこかで見た顔だと思った!

 

あっさり仕事が見つかった。

 

この方は私にとって人生の師匠の一人となる。

 

住居から仕事から本当に会長にはお世話になった。

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